2022.3.8

さいころ、わたしはとても引っ込み思案で、一緒に下校しようよと誰かを誘うことすらできず、仲良くなりたい子の後ろを微妙に距離をとってついていき、でもやっぱり声をかけることはできなくて、一人でとぼとぼ帰るというのをよくやっていた。


今でも引っ込み思案は直っておらず、仲良しのともだちであっても自分から遊びに誘うということができないし、自分から電話をかけることもできない。そんなわたしにとって、どうしても一人でいるのが寂しいとき、Twitterはとても便利な道具だ。自分から声をかけなくても、「誰か遊ぼう」とか「誰か電話しよう」とかツイートすれば、運がよければ暇な誰かが乗ってくれる。運が悪くてもお酒を飲みながら適当なことをつぶやいていればいくぶん孤独がまぎれるし、いいねがくれば多少気分もよくなる。何度もやめようと思ったTwitterをやめられない理由は引っ込み思案ゆえだ。



Twitterの話は置いておいて、わたしは他者とのコミュニケーションが非常に不得意である。

女の子(少なくともわたしと同じコミュニティの女の子たち)は褒めあったり冗談で笑い合ったり軽いボディタッチをしたりするキャピキャピしたコミュニケーションが好きだけど、わたしはそれがとても苦手だ。自分が下手くそな演技をしているような気分になり落ち着かない。


男の子と話すほうが多少楽なんだが、気を遣われながら男だらけの集団の金魚のフンができるほど図太い精神をわたしは持っていない。


お酒を飲むと饒舌に話せるようになる。苦手なキャピキャピコミュニケーションもわりと上手くこなせるようになる。でも、飲酒をすると異性相手にセックスを前提とした言動をしてしまうことがあるし、お酒で気つけをしないと他者との交流がつらいというのはもはやアルコール依存症だ。


一対一でじっくり行う会話はむしろ得意なほうだと思うし、大人数でいるときも頑張ればある程度気さくに見えるよう振る舞うことはできるし(とても無理をしているので時々喫煙所などに逃げ込んでしまうが)、前述のようにお酒を飲むと喋れるようになるし、わたしのコミュニケーション能力に問題があることを見抜いている人はあまりいないのではないかと思っているが、繊細な人は気づいて理解を示してくれていてとてもありがたい。



引っ込み思案で飲酒しないと喋るのもしんどいくせに寂しがりだなんて、我ながらほんとうに「面倒臭い」ね。いっそ人ぎらいになれたらいいのに、わたしは多分人を愛しすぎているからこんなふうになってしまったのだと思う。