2023.1.15

引退したサークルの友人たちがやっているバンドのライブを観に行った。最近、体調があまり優れないので、行けるかどうか不安だったが、がんばって行った。

 

アルコール依存症といわれかねないほどの大酒飲みなのに、昨日から急に全く飲酒したいという気持ちがわかなくなっている。酒に飽きた、という表現がしっくりくる。今まで、飲みすぎて人に迷惑をかけたりひどい宿酔に苦しんだりするたびにやめようやめようと思って、それでもやめられなかったのはなんなんだろう、こんなにあっさりやめられていいものだろうか。飲酒欲求だけじゃない、性的欲求も以前に比べてかなり減退している。性的欲求というか、他者と肌を触れ合わせることへの希求、ひいては他者への関心そのものが薄れてしまっている。それだけじゃない、なんだか、感情ぜんぶが鈍っている気がする……

今、はっきりと感じられるのは、心も身体も今より元気で、好きな人を好きでいる権利があったころを思い出したときのキリキリとした苦しみだけだ。一日のうちのほとんどを、この感情が占めてしまっている。受験期は楽しかった、サークルにいたころは楽しかった、あの人と付き合っていたころは楽しかった、あのころは、あの日は──自分の、いわば「黄金時代」を思い返しては、地獄のようにみじめな気持ちになる。他の喜怒哀楽は、霧に隠れてぼんやりとしてしまっているようだ。

 

ライブはすばらしかった。友人たちは以前と変わらない姿で、以前とて変わらず楽しそうに音楽をやっていた。曲もけっこう好きだった。どれを誰が書いたのか予想して、ちょっと楽しくなって、彼らと共にサークル活動をしていたころを思い返して、またキリキリとした苦しみが襲ってきた。

ちゃんとしらふでライブを楽しめたのは、まあよかった。

 

マクドナルドで軽い夕食をとり、帰路についていると、男に「お姉さん」と声をかけられた。わたしはトロくて見た目も弱そうなので、よくナンパに遭うのだ。いつもなら聞こえないふりをして素通りをするが、今日はなんだか無性にカッときて「やめて!話しかけないで」と怒鳴った。なんだ、ちゃんと怒れるじゃないか、よかったと思ったが、これはいわば赤ん坊が苦いものを口に含んで泣き出すのと同じで、こんな癇癪を仮にも大人の人間の感情に含めていいものか?とも思う。そしてわたしの心は苦しみ、後悔に支配されているうちどんどん喜びや慈しみや、複雑な彩りをなくしていって、そのうち単純な快・不快しか感じられなくなるのではないかと不安にも思う。

 

取り戻さなければならない。そのためには生き延びなければならない、キリキリとした苦しみを抱えながら。

2022.12.21

いつものようにバイトに出勤して、出版物を製本したり封筒にラベルを貼ったりなどしつつ、ふと社員のふたりの会話に耳を傾けると、作業をしながら年末の特番について話している。

「去年だっけ、『笑ってはいけない』って終わったよね?」

「終わりましたね」

「内輪ネタがキツかったし、潮時だったのかもね」

「年末って、紅白と、RISINと、他に何の番組がありましたっけ…」

わたしはそれを聞きながら心臓の鼓動が嫌に早まっていくのを感じていた。理由はうまく言えないが(今流行りの言い方をすると「言語化」できていないが)、わたしはどうも年末年始の雰囲気が苦手だ。物心ついた時からずっとそうで、実家にいた時は「あけましておめでとう」というのを渋り、母親に怪訝な顔をされたことがある。大晦日のカウントダウンも嫌。新しい年になった瞬間に、飛ぶとか、好きな人にラインするとかそういうのもゾッとする。日付が変わるときに絶対に起きていたくなくて、睡眠薬を多めに飲むとか、炭水化物を大量に摂取して気絶するとか、救急搬送されないギリギリのラインで昏倒できる方法を真面目に検討しているほどだ。

てか大体さ、マジで、初日の出とかってなんなんだよ。暁はどんな日でもきれいだよ。日が昇ってしばらくすると、街がグレーがかった水色のようななんともいえない色になる時間があって、わたしはそれをいつも、友達と早朝まで深酒したあととか、部屋に泊めた人が始発のために出ていったあととかに見ているよ。日の出の時間って、さみしいんだよ。初日の出をご来光がどうとかいって有難がっているやつらはどうせ、そういうことを知らない、感性を他人とか世間の常識とかに依存したクソバカばっかりだ。大晦日も正月もクソバカうんこイベントだよ。

よいお年をなんて絶対に言ってやらねえぞ。わたしは毎日お前らのために、よい一日を、って祈ってるから。祈ることは、決められたある日に、わざわざしゃちこばってやることじゃねえ。

2022.9.20

いつものようにお酒を飲みながらTwitterを眺めていたら、突然右斜め上の視界に真っ黒が現れた。

「まずい、ゴキブリだ」警備がガバガバのボロアパートではままあることであるーーわたしは冷静だった。我が部屋には「ゴキブリムエンダー」を常に置いているからである。これは密閉した部屋の四方にスプレーして放置しているだけで勝手に害虫が死にに出てくるというとんでもない代物だ(人間以外の大切な家族がいる部屋で使わないよう注意してね)。昨今のゴキブリバトル科学技術の発展にはめざましいものがある。わたしは部屋の扉を閉め、ゴキブリムエンダーをパッケージに書かれているより気持ち多めにスプレーした。

一旦押し入れの上の段に隠れた彼はすぐに出てきた。「ムエンダー」の瘴気を浴びてなお、活発に動き回ってはいたが、現れた当初からするとその羽の艶めきには翳りが見えたような気がした。

彼の生命力はしぶとかった。彼はわたしの部屋の壁をしばらく縦横無尽に歩き回り、しかし、少しずつ弱っていった。毒ガスに満ちた部屋で必死に呼吸をしようとするその姿にわたしは心を打たれた。美しいとさえ思った。そして、その美しい生命を蹂躙することにサディスティックな快感を覚えている自分に気がついた。フラフラと動く彼に向けて「とどめだ」とムエンダーを撃った。ムエンダーは本来そういう使い方をするものではないが、そうしたくなったのだ。生きようとするものは、みな等しく残酷だが、人間のように不要な嗜虐性を持った生き物を、わたしは他に知らない。

彼はわたしの部屋の開けっぱなしの押し入れの中で死んだ。ついでにコバエも2匹死んだ。彼らを生かしてしまったわたしの住環境に疑問を抱く読者は多いと思うが、ボロアパートで警備がガバガバなんだから詮無い。

ゴキブリムエンダー、めちゃおすすめなので特に一人暮らしの人は買って置いておくといいです。

2022.9.27

えらかった人のなんだか大きなお葬式…お葬式じゃないのかな?なんかそういうのがあったんで、マジで全然関係ないんだけど自分の理想の死について考えた。 あたしは死ぬのは鳥葬がいい。鳥や虫があたしの屍体をついばんで、それで生きながらえて子孫を残していく。あたしが生きてた意味は、あたしが死んでいくこと、そういうのが理想だ。わがままを言うなら、あたしのことを好きだったかもしれない数人に花を供えてほしい。そういう形で死を悼むことは、たぶんニンゲンにしかできなくて、供えられた花と朽ちていくことであたしはきっとニンゲンのまま自然に還っていくことができる。 いつ死ぬかわからないからいまから実現に向けていろいろ考えないとなー

2022.9.27

えらかった人のなんだか大きなお葬式…お葬式じゃないのかな?なんかそういうのがあったんで、マジで全然関係ないんだけど自分の理想の死について考えた。 あたしは死ぬのは鳥葬がいい。鳥や虫があたしの屍体をついばんで、それで生きながらえて子孫を残していく。あたしが生きてた意味は、あたしが死んでいくこと、そういうのが理想だ。わがままを言うなら、あたしのことを好きだったかもしれない数人に花を供えてほしい。そういう形で死を悼むことは、たぶんニンゲンにしかできなくて、供えられた花と朽ちていくことであたしはきっとニンゲンのまま自然に還っていくことができる。 いつ死ぬかわからないからいまから実現に向けていろいろ考えないとなー

2022.9.27

えらかった人のなんだか大きなお葬式…お葬式じゃないのかな?なんかそういうのがあったんで、マジで全然関係ないんだけど自分の理想の死について考えた。 あたしは死ぬのは鳥葬がいい。鳥や虫があたしの屍体をついばんで、それで生きながらえて子孫を残していく。あたしが生きてた意味は、あたしが死んでいくこと、そういうのが理想だ。わがままを言うなら、あたしのことを好きだったかもしれない数人に花を供えてほしい。そういう形で死を悼むことは、たぶんニンゲンにしかできなくて、供えられた花と朽ちていくことであたしはきっとニンゲンのまま自然に還っていくことができる。 いつ死ぬかわからないからいまから実現に向けていろいろ考えないとなー

2022.9.27

えらかった人のなんだか大きなお葬式…お葬式じゃないのかな?なんかそういうのがあったんで、マジで全然関係ないんだけど自分の理想の死について考えた。 あたしは死ぬのは鳥葬がいい。鳥や虫があたしの屍体をついばんで、それで生きながらえて子孫を残していく。あたしが生きてた意味は、あたしが死んでいくこと、そういうのが理想だ。わがままを言うなら、あたしのことを好きだったかもしれない数人に花を供えてほしい。そういう形で死を悼むことは、たぶんニンゲンにしかできなくて、供えられた花と朽ちていくことであたしはきっとニンゲンのまま自然に還っていくことができる。 いつ死ぬかわからないからいまから実現に向けていろいろ考えないとなー