2022.3.27

ネスタという睡眠導入剤を飲んでいる。

睡眠のリズムが崩れがちなので、これがないと夜にうまく寝付けない。飲むと、頭のなかにある固い不安のしこりがゆっくり溶けていって、優しい多幸感に包まれ、そのうち身体が弛緩していってふわっと眠りに落ちることができる。もう二年以上この薬のお世話になっているけれど、飲んで多幸感を得られることに気づいたのは最近だ。ブロンみたいに強烈なやつではなくささやかなものなので、今より元気な時はわからなかったのだと思う。

わたしがもっと刹那的で命を削ることに抵抗がなかったら、ルネスタを飲みまくって一日中ふわふわしながら寝転がってたんじゃないだろうか。生憎なんとかまともな振りをして社会にしがみつきたい気持ちが強いのでしないけど、開き直ってそうできたら幸せかもしれない、少なくとも今感じている苦痛からは逃れることができるだろう。

 

話は変わって、さいきん代理出産が話題になっている。個人的には、お金や社会的地位を持っている人がそうでない貧しい人を金銭を対価として危険な目に遭わせ、自分の理想のライフスタイルを築く踏み台にするのはあまりに残酷だと感じ、賛成できないのだが、ここでは代理出産の是非について問うことはしない。

あるサイトに、代理母になれる条件のひとつとして「精神安定剤・薬物を使用していないこと」とあった。わたしは諸々の理由で、将来子どもを持つことはしないと決めているし、もちろん代理母にもならないが、ああわたしには母親になる資格はハナからなかったんだな、と思った。生まないと固く心に決めているのに、なぜだか少し虚しい気持ちになり、そして虚しい気持ちになる自分のことを、なんかグロいな、とも思った。

 

こんな嫌な気持ちもルネスタは優しく洗い流してくれる。安らかな眠りと引き換えに失ったわたしの安全な子宮のことを考える。いらないはずなのにな。

2022.3.8

さいころ、わたしはとても引っ込み思案で、一緒に下校しようよと誰かを誘うことすらできず、仲良くなりたい子の後ろを微妙に距離をとってついていき、でもやっぱり声をかけることはできなくて、一人でとぼとぼ帰るというのをよくやっていた。


今でも引っ込み思案は直っておらず、仲良しのともだちであっても自分から遊びに誘うということができないし、自分から電話をかけることもできない。そんなわたしにとって、どうしても一人でいるのが寂しいとき、Twitterはとても便利な道具だ。自分から声をかけなくても、「誰か遊ぼう」とか「誰か電話しよう」とかツイートすれば、運がよければ暇な誰かが乗ってくれる。運が悪くてもお酒を飲みながら適当なことをつぶやいていればいくぶん孤独がまぎれるし、いいねがくれば多少気分もよくなる。何度もやめようと思ったTwitterをやめられない理由は引っ込み思案ゆえだ。



Twitterの話は置いておいて、わたしは他者とのコミュニケーションが非常に不得意である。

女の子(少なくともわたしと同じコミュニティの女の子たち)は褒めあったり冗談で笑い合ったり軽いボディタッチをしたりするキャピキャピしたコミュニケーションが好きだけど、わたしはそれがとても苦手だ。自分が下手くそな演技をしているような気分になり落ち着かない。


男の子と話すほうが多少楽なんだが、気を遣われながら男だらけの集団の金魚のフンができるほど図太い精神をわたしは持っていない。


お酒を飲むと饒舌に話せるようになる。苦手なキャピキャピコミュニケーションもわりと上手くこなせるようになる。でも、飲酒をすると異性相手にセックスを前提とした言動をしてしまうことがあるし、お酒で気つけをしないと他者との交流がつらいというのはもはやアルコール依存症だ。


一対一でじっくり行う会話はむしろ得意なほうだと思うし、大人数でいるときも頑張ればある程度気さくに見えるよう振る舞うことはできるし(とても無理をしているので時々喫煙所などに逃げ込んでしまうが)、前述のようにお酒を飲むと喋れるようになるし、わたしのコミュニケーション能力に問題があることを見抜いている人はあまりいないのではないかと思っているが、繊細な人は気づいて理解を示してくれていてとてもありがたい。



引っ込み思案で飲酒しないと喋るのもしんどいくせに寂しがりだなんて、我ながらほんとうに「面倒臭い」ね。いっそ人ぎらいになれたらいいのに、わたしは多分人を愛しすぎているからこんなふうになってしまったのだと思う。

2022.2.27

最近、なぜだか急にイギリスのブリットポップバンド・blurにハマっている。昔からそこそこ好きだったのだが、突然ものすごくよく聴こえるようになった。メンバーであるデーモン・アルバーングレアム・コクソンらはいつもお洒落な格好をしている。blurのいちファンとして、彼らと同じようなファッションに身を包んでみたいと思い、デーモンが昔よく着ていたフレッドペリーのポロシャツを買おうと考えて、ブランドのオンラインストアを見てみた。

わたしは女性なのでとりあえずウィメンズのカテゴリーを開く。「あれっ…」思わず困惑の声が漏れ出た。ウィメンズのポロシャツは、なぜかハートの刺繡がついていたり、アーガイル柄だったり、あるいは身体のラインを強調してしまうようなものばかりだ。わたしが求めてるのはこれじゃない……いちおう「普通」のデザインのものもあるにはあったが、わたしが欲しいと思っていた茶色いポロシャツは、どうやらウィメンズでは取り扱っていないようだった。

男女両方のアイテムを扱っているブランドの多くは、どうして女性ものになると余計な装飾をつけたりシルエットを細くしたり、袖を微妙に短くしたりしてしまうのだろうか。時計などは特にそのような傾向が強いと感じる。わたしはデーモン・アルバーンと同じようなポロシャツが着たいのに……

上述のようながっかりが頻繁にあると、どうも舐められているように感じてしまう。わたしは一般的に女性が着ると想定されている可愛らしい服が嫌いなわけではなく、むしろ好んでよく着ている。しかし、時には「女の子が着るボーイッシュな服」ではなく、男が着ているのと同じ服を着たいこともあるのだ(こないだバズってた「こっち向いて!みい子」の一エピソードから表現を拝借してみた)。

わたしは男性を自認しているわけでもなければ、オートガイネフィリア(異性装者)でもない。そもそもわたしが着たいフレッドペリーの茶色いポロシャツは、男性ジェンダーを殊更に強調するようなものではない。ていうか男性ジェンダーを強調するような服・靴・装飾品って、まわしぐらいしかないだろ。女性ジェンダーを強調するものは数えきれないほどあるのに(ハイヒールとか)。

難しいことはよくわからないんですが、とにかく、身につけるものを販売するブランドのすべては、全デザインのサイズ展開を幅広くしてユニセックスにしてほしい。男性だってフェミニンな服が着たい時もあるだろうしね。予算の面とかで困難なのだろうと思うが、いつかそれが当たり前になってほしい。

2022.2.25

遠い異国の地で戦争が始まったらしい。

Twitterで本当かウソかわからない情報や、この戦争をモチーフにしたありきたりな詩なんかを眺めているうちに疲れ切ってしまい、関連するワードをすべてミュートに設定しようかとすら考えたが、流石にそれはいけないなと思って(なぜ?)やめた。権力のある人が勝手に決めたことで無辜の市民が殺されるのはいやだなとだけ思う。本当にそれだけ。何を言っても何をしてもおのれの無力さを突き付けられるだけで苦しい。

 

最近撮った写真を載せていこうと思う。

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これは散歩している時に見つけた倉庫。持ち主の人、勝手に撮影してごめんなさい。

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近所の神社にて。梅がきれいに咲いていた。

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同じ神社の手水舎。後ろの背景がいい感じにボケて嬉しい。

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こちらも同じ神社で撮影した。twitterに載せるのはあざといかなと思って投稿しなかった。

 

 

戦争、はやく終わってほしい。もう誰も殺されないでほしい。そう思うことはバカげているのだろうか。

2022.2.23

今日は夜にあるはずだった予定がなくなり、暇になってしまった。忙しすぎるのは疲れるが、暇なのもそれなりに精神に堪える。来年度からバイトのシフトを増やしたいと思っている。

 

新しい疫病が流行しだして2年が経った。外出先では常時マスクをつける生活にも慣れてしまい、最近はドン・キホーテとかに売っている可愛い色のマスクを服と合わせてコーディネートしたりしている。インターネットには疫病についてのさまざまな情報が錯綜していて、深刻な病気だと言う人も、たいしたことがないと言う人もたくさんいる。ワクチンについてもいろいろな意見がある。わたしは医学についての知識がないし、リテラシーにもあまり自信がないので、いったい何を信じればいいのかわからない(陰謀論は論外だが……)。正直に言うとわたしは疫病をそこまで深く恐れてはいないが、それでもマスクをつけているのは、道を歩いていて突然怒鳴られたり殴られたりしたくないからだ。3回目のワクチンもたぶん打つんじゃないかと思う。まさに生権力に飼いならされた臆病な奴隷だ。まあそれでもいい。リスクを負って反抗したり、玉石混交の情報の海の中から自分がこれだと思うものを探したりする気力はない。時にはこっそり人とお酒を飲んだりしながらも、基本的に多数派のやることに従うだけで精一杯。わたしはこの疫病禍に疲れ切っているのだ。

 

めちゃくちゃバカなのがバレる文章を書いてしまったな。

 

そういえば、新しい曲をSoundCloudにアップしたので是非聴いてください。

soundcloud.com

 

2022.2.19

ここ最近、ひどい鬱症状で日記を書くどころか、Twitterに140文字を投稿することもままならなくなっていた。過食の副作用が出るのでしばらく服用を控えていたエビリファイを飲んでみたらすこし元気になったので、久しぶりに ブログを更新してみる。

 

あさま山荘事件から今日で50年経ったらしい。twitterで「あさま山荘事件」を検索してみると、連合赤軍日本赤軍を混同しているとか、日本共産党新左翼各党派はズブズブだとか、たぶん30年前ぐらいにはなかったであろうありえない誤認識をしたまま左翼をひとまとめに「パヨク」として冷笑している人が散見された(「パヨク」という用語にもいちおうちゃんとした定義があり左翼=パヨクではない)。保守を標榜するのであればせめて最低限のことは知ってから冷笑してほしい。わたしはリベラルより少し左寄りぐらいを自認しているが、右翼の運動の歴史ももっと知りたいと思っている。twitterにはよく知りもしない概念や集団を決めつけと偏見で叩く人が多すぎる。フェミニズムや、ポリティカルコレクトネスなどいい例だ。アンチフェミ、アンチポリコレをやるならそれらについてちゃんと知ってからじゃないとダメです。もちろん、フェミニストやポリコレ派を名乗るにしても。反出生主義界隈とかはそういうとこほんとうにひどいと思う。

インターネットでの炎上は、このように「よく知らないのに叩く」「よく知らないのにそれを標榜する」ことで起こることがけっこう多いんじゃないかと思う。みんな、ネットから離れて落ち着いて本でも読みなされ。

 

頭が回らなくてヘンな文章になってしまった。今日はこの辺で。いつも読んでくれてるあなたへ、本当にありがとう。

2022.2.8

Twitterにも似たようなことを書いたが、アナログ・デジタル問わずゲームがとても苦手だ。

麻雀はルールや役を教えられても理解できなかったし、Unoをやったことが人生で一度もないし、一度ひとと一緒にスマブラをプレイしてみた時は落っこちた時の復帰すらできなくて相手を呆れさせてしまった。友達数人で筐体のマリオカートをやったらわたしだけ前にまっすぐ進むことすらできなかった。漠然となにか自分に欠陥があることは感じつつ、それがなんらかの病気や障害と関係があるものなのかはわからない。ゲームをやると自分は自分自身の欠陥を直視することになって惨めになり、相手はわたしに気を遣って楽しめないので、出来るだけ機会を避けている。わたし観戦してる!とか言って誤魔化して、内心は疎外感ではち切れそうになる。付き合っている人やともだちが楽しそうに麻雀を打ったりモノポリーに興じたりしていると、さみしさでおかしくなりそうになり、ついわたしも混ぜてと言いたくなるがグッとこらえて、そのうち幼稚にも泣いてしまったりして困惑される。わたしを仲間はずれにしているのは他ならぬわたし自身なのに。


ところで、わたしは以前、当時の交際相手を束縛してしまっていた。彼が飲み会などに出ているとさみしくて不安になり、つい何回も電話をかけたり、彼と先輩が楽しく話しているところに割り込んでしまったり。それは、飲み会にいた女性や先輩への嫉妬ではなく、疎外感ゆえの行動だったのだといまは思っている。

現在は束縛行動こそ殆どしなくなったが、恋人が高校時代の友人と遊びに行ったりするとやはり仲間はずれにされたような気持ちになってしまう。わたしはこのようにとても寂しがりやで、閾値を越えると暴れて泣いてしまうような厄介な人間で(最近は比較的落ち着いていてあまりないが…)、それでもめげずに付き合ってくれる/くれていた人々にはとても感謝している。

よかったら今度、Unoのルールを教えてくれませんか。麻雀にもリベンジしたいです。