2022.9.20

いつものようにお酒を飲みながらTwitterを眺めていたら、突然右斜め上の視界に真っ黒が現れた。

「まずい、ゴキブリだ」警備がガバガバのボロアパートではままあることであるーーわたしは冷静だった。我が部屋には「ゴキブリムエンダー」を常に置いているからである。これは密閉した部屋の四方にスプレーして放置しているだけで勝手に害虫が死にに出てくるというとんでもない代物だ(人間以外の大切な家族がいる部屋で使わないよう注意してね)。昨今のゴキブリバトル科学技術の発展にはめざましいものがある。わたしは部屋の扉を閉め、ゴキブリムエンダーをパッケージに書かれているより気持ち多めにスプレーした。

一旦押し入れの上の段に隠れた彼はすぐに出てきた。「ムエンダー」の瘴気を浴びてなお、活発に動き回ってはいたが、現れた当初からするとその羽の艶めきには翳りが見えたような気がした。

彼の生命力はしぶとかった。彼はわたしの部屋の壁をしばらく縦横無尽に歩き回り、しかし、少しずつ弱っていった。毒ガスに満ちた部屋で必死に呼吸をしようとするその姿にわたしは心を打たれた。美しいとさえ思った。そして、その美しい生命を蹂躙することにサディスティックな快感を覚えている自分に気がついた。フラフラと動く彼に向けて「とどめだ」とムエンダーを撃った。ムエンダーは本来そういう使い方をするものではないが、そうしたくなったのだ。生きようとするものは、みな等しく残酷だが、人間のように不要な嗜虐性を持った生き物を、わたしは他に知らない。

彼はわたしの部屋の開けっぱなしの押し入れの中で死んだ。ついでにコバエも2匹死んだ。彼らを生かしてしまったわたしの住環境に疑問を抱く読者は多いと思うが、ボロアパートで警備がガバガバなんだから詮無い。

ゴキブリムエンダー、めちゃおすすめなので特に一人暮らしの人は買って置いておくといいです。

2022.9.20

いつものようにお酒を飲みながらTwitterを眺めていたら、突然右斜め上の視界に真っ黒が現れた。

「まずい、ゴキブリだ」警備がガバガバのボロアパートではままあることであるーーわたしは冷静だった。我が部屋には「ゴキブリムエンダー」を常に置いているからである。これは密閉した部屋の四方にスプレーして放置しているだけで勝手に害虫が死にに出てくるというとんでもない代物だ(人間以外の大切な家族がいる部屋で使わないよう注意してね)。昨今のゴキブリバトル科学技術の発展にはめざましいものがある。わたしは部屋の扉を閉め、ゴキブリムエンダーをパッケージに書かれているより気持ち多めにスプレーした。

一旦押し入れの上の段に隠れた彼はすぐに出てきた。「ムエンダー」の瘴気を浴びてなお、活発に動き回ってはいたが、現れた当初からするとその羽の艶めきには翳りが見えたような気がした。

彼の生命力はしぶとかった。彼はわたしの部屋の壁をしばらく縦横無尽に歩き回り、しかし、少しずつ弱っていった。毒ガスに満ちた部屋で必死に呼吸をしようとするその姿にわたしは心を打たれた。美しいとさえ思った。そして、その美しい生命を蹂躙することにサディスティックな快感を覚えている自分に気がついた。フラフラと動く彼に向けて「とどめだ」とムエンダーを撃った。ムエンダーは本来そういう使い方をするものではないが、そうしたくなったのだ。生きようとするものは、みな等しく残酷だが、人間のように不要な嗜虐性を持った生き物を、わたしは他に知らない。

彼はわたしの部屋の開けっぱなしの押し入れの中で死んだ。ついでにコバエも2匹死んだ。彼らを生かしてしまったわたしの住環境に疑問を抱く読者は多いと思うが、ボロアパートで警備がガバガバなんだから詮無い。

ゴキブリムエンダー、めちゃおすすめなので特に一人暮らしの人は買って置いておくといいです。

2022.7.20

わたしと一度でも会ったことがある人なら知っているとおり、わたしはドジで、ずぼらで、声がやたらに大きく、まあまあ無神経なことを言ったりやったりしてしまうこともある。にもかかわらず、人を怒らせてしまうことは少ない。わたしの近くにいてくれる人々は、みな寛大で思いやりのあるすてきな心の持ち主だと皮肉ではなく思う。しかし、それでもたまに誰かの逆鱗に触れてしまうことはある。

わたしが人を怒らせた行為は、ただ軽率で愚かであるというだけではなく、大抵わたしの驕りや過信が動機となっている。と思う。ゆえに、謝罪するときの苦しさや恥ずかしさは並大抵ではない。根本のところを隠して、たんなる無神経だったとして詫びることもある。

 

何が言いたいかというと、誰もわたしのことをそこまで好きじゃないし、嫌いでもないということなのさ。

2022.7.1

大きなショッピングモール、電気店、やたら駐車場の広いドコモショップ、チェーンの飲食店、紳士服店、ドラッグストアなどが幹線道路沿いに並ぶ、全国どこでも見られる郊外のロードサイドが好きだ。だいぶ前から「ファスト風土」と揶揄され批判されてきたあの風景。わたしの実家はまさにそういうロードサイドのすぐそばの住宅地にあって、中学生ぐらいまで友達と遊ぶところといえばイオンだった。高校生になって、市のまんなかにある繁華街などの「都会」に出ることを覚えた。

たとえば八王子とか、つくばエクスプレス研究学園駅あたりとか、ロードサイドの風景を見られる場所に行くとわけもなく胸が苦しいようなせつない気持ちになる。それを郷愁だと思っていたけれど、どうにも違う気がする。わたしはそんなに郷土愛が強いほうじゃないし、どこにでもある景色に郷愁をおぼえるなんて言葉の意味に矛盾している。これはノスタルジーじゃない。

 

わたしは地元にいたころ、早く実家を出て東京に行きたくて仕方がなかった。東京に行ったらなんでもできるし、何者にでもなれると思っていた。母親の運転する車に乗って、同級生のだれも知らないであろうバンドの曲を聴きながら、まっすぐな国道の先へ間抜けにひらける曇った空を見て、わたしにはこの街の空は広すぎる、早く東京へ出たいと思ったのをおぼえている。つまらないチェーン店の並ぶあの道は、高校生のわたしにとって、ここではないどこかへ、どこへでも行ける滑走路だった。

その時の気持ちを思い出せるから、あるいは否応なしに思い出させて来るから、わたしはロードサイドの景色が好きで、見ると苦しい気持ちになるのかもしれない。東京はここではないどこかなどではなかった。つらいときは無性に故郷が恋しくてたまらなくなる。

 

 

 

 

 

140文字以上の文章が全く書けなくなっていて草!リハビリが必要だ……

2022.4.16

はじめて相対性理論というバンドを知った日、外にも出ず親のPCでグロテスクな動画を観て夜中までTwitterをして過ぎていった中学2年生の夏休み、休日にクラスメイトの私服姿を見るだけで官能的な気持ちになっていたあの頃に戻りたい。最近はお酒を飲んでも少し眠くなるだけであまり楽しい気持ちになれないし、ハイティーンの頃より感受性が衰えている気がして怖い。漠然とした不安のほかに強い感情を覚えることがほとんどなくなってしまっている。うつ症状のせいで一時的に脳の働きが鈍っているだけだと信じたい。

 

高校2年生の頃オープンキャンパスに参加するために東京に行って山手線に乗った(品川~上野を移動した気がする、結構長いな)とき、東京とはなんて美しい街なんだと震えるような気持ちになった。あのときに見た東京はわたしの心の中にしか存在しないのかもしれない、けれどたまに、たとえば小田急線や中央線なんかに乗ったときに、車窓の景色にあのときの美しい東京の幻影を見ることがあって、そういうときにはああわたしはまだ大丈夫だ、と思う。うつや、社会におけるさまざまな理不尽に、わたしの東京を壊されないように、こうやって文章を書いたり、音楽を聴いたり音楽を作ったりして、どうにか城壁を築いていくしかない。

2022.4.11

睡眠薬を切らしてしまって眠れない。くそったれ、と思いながら日記を書く。

 

最近は一時期のどん底鬱状態からはやや回復したものの相変わらずあまり調子がよくない。いつも何かが漠然と不安で不満な気がする。でもお風呂には毎日入れてるし、洗濯もできてるし、バイトにも行けているからとりあえずいいやとも思う。

 

他人のあけすけな性愛の事情は知りたくもないのにグロいものが見たくなるのと同じような心理で詮索したくなる。大学生になってから、誰かのロマンチックラブのことに関してばかり勘が鋭くなってしまって困る。自分も含めて、みんな好きになったり嫌いになったり忘れたり、好きになったり嫌いになったり忘れたりを繰り返していて気持ち悪いな。どうしてそんなひどいことができるんだろうと本気で思う。対人性愛ほど気持ち悪いものはない。

思えば中学生ごろから他者の性愛に嫌悪感をもっていた。誰かの性行為のようすを、想像したくないのに強迫的に想像が止まらなくて苦しかったときもあった。強迫の症状が落ち着いたいまも根本的なところは何も変わっていない。性嫌悪が強いのに自分も性愛者であることがしんどい。なんだかわたしだけいつまでも思春期のままの気がする。もはや廃墟と化したネバーランドに一人で取り残されること!もうなんか早くみんな子どもとか作って本格的にわたしを置いてけぼりにしてほしい。お祝いするよ。

 

2022.4.1

新しいメンタルクリニックに行ったら、双極性障害だと診断された。俗に言う躁うつ病で、時期によって激しい気分の上下がある病気だ。もしかしたらそうなのではないかと少し前から感じていたので、今日やっと診断がおりて少しほっとした。

今思えば2年半ぐらい前からこの病気の傾向があったにも関わらず、なかなか気づけなかった。躁転したら外をただ歩いているだけでもなんとなく爽快で気分がよくなり「鬱が寛解したかもしれない」と思い込んでしまっていたため、自覚するのが遅れてしまったのだと思う。躁転したときは「寝ている時間が勿体ない」と思って異常に早起きになり、後払いで買い物をしまくり、衝動的に行動を起こし(これがいい方向に転ぶか悪い方向に転ぶかは場合による)、毎秒人と話したくてそわそわしている。そしてショートスリープで暴れまわった結果鬱転し、そしてまたしばらくして躁になりの繰り返しだ。双極性障害の特徴が出始めたのと同じぐらいの時期から、よくない恋愛や性的逸脱で他者に迷惑をかけてしまうことが増えたが、これは恐らくこの病気がかなり関係していると思う。

医師に自立支援医療について教えてもらった。双極性障害寛解することはあっても完治はしない病気だから、そういった制度には頼るべきだと思った。とりあえず頑張って住民票を実家から今の住所に移すところから始めます。