2022.7.1

大きなショッピングモール、電気店、やたら駐車場の広いドコモショップ、チェーンの飲食店、紳士服店、ドラッグストアなどが幹線道路沿いに並ぶ、全国どこでも見られる郊外のロードサイドが好きだ。だいぶ前から「ファスト風土」と揶揄され批判されてきたあの風景。わたしの実家はまさにそういうロードサイドのすぐそばの住宅地にあって、中学生ぐらいまで友達と遊ぶところといえばイオンだった。高校生になって、市のまんなかにある繁華街などの「都会」に出ることを覚えた。

たとえば八王子とか、つくばエクスプレス研究学園駅あたりとか、ロードサイドの風景を見られる場所に行くとわけもなく胸が苦しいようなせつない気持ちになる。それを郷愁だと思っていたけれど、どうにも違う気がする。わたしはそんなに郷土愛が強いほうじゃないし、どこにでもある景色に郷愁をおぼえるなんて言葉の意味に矛盾している。これはノスタルジーじゃない。

 

わたしは地元にいたころ、早く実家を出て東京に行きたくて仕方がなかった。東京に行ったらなんでもできるし、何者にでもなれると思っていた。母親の運転する車に乗って、同級生のだれも知らないであろうバンドの曲を聴きながら、まっすぐな国道の先へ間抜けにひらける曇った空を見て、わたしにはこの街の空は広すぎる、早く東京へ出たいと思ったのをおぼえている。つまらないチェーン店の並ぶあの道は、高校生のわたしにとって、ここではないどこかへ、どこへでも行ける滑走路だった。

その時の気持ちを思い出せるから、あるいは否応なしに思い出させて来るから、わたしはロードサイドの景色が好きで、見ると苦しい気持ちになるのかもしれない。東京はここではないどこかなどではなかった。つらいときは無性に故郷が恋しくてたまらなくなる。

 

 

 

 

 

140文字以上の文章が全く書けなくなっていて草!リハビリが必要だ……